KING AMUSEMENT CREATIVE

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林原めぐみ 1st LIVE -あなたに会いに来て- レポート&アフターインタビュー

林原めぐみ 1st LIVE -あなたに会いに来て-
2017年6月11日(日) 
中野サンプラザ(サンプラザホール)

WOWOWにて9/9(土)夜10:00〜放送決定!

オフィシャルレポート

歌手デビューから四半世紀以上、生誕から半世紀を経て開催となった林原めぐみの1stライブ。
発表されるやネットは大騒ぎになり「ビートルズの初来日に匹敵する衝撃」といったツイートも飛び交った。
林原本人は「ネットで書かれることはね……」と苦笑いしていたが。
「とにかく林原らしいものには間違いなくなります。裏のテーマは不親切」と事前の取材で話していた。

 特に派手なセットも見られない中野サンプラザのステージ。開演時間が来て場内が暗転すると、ザーッ、ザーッと穏やかな波の音が。フロアの布も波打つ。ここは海……?
「今日、私のところに、ビンに入った手紙が届きました。懐かしい、あの人から」
 その愛らしい声は、海の底の“夢の国”のプリンセスの、あの女の子だ。
ゆっくり、手紙の声が送り主=林原めぐみに変わっていく。
 夢に対して綴られたその手紙は「中野で待っています」と締められた。
それをうけて、
「もっちのろんろん! とっておきの魔法、ひさしぶりに使っちゃおう」と
女の子が元気いっぱいに答えて出掛けると、ステージに林原が現れた。
ピンクのフワッとした服にデニムのジャケットを羽織り、ハットをかぶって。

両手を頭の上でクラップさせながら、明るく歌い出したのは「夢を抱きしめて」。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(91〜92年)の後期OPテーマ。
今はヴォーカルに柔らかい大人の包容力を感じさせる。
続く後期EDテーマだった「好きより大好きミンキースマイル!」は、シャレたジャズアレンジの<Grow up Version>で。
ステージを歩きながら歌い、“パラリルパラリルドリリンパ!”の呪文パートも粋な感じで軽やかに。
2曲とも岡崎律子さんによる楽曲で、5月に発売されたトリビュートアルバム『with you』にも収録されていた。
 そして、無人のスタンドマイクにスポットライトが当たる。
“春 はなが咲く道〜”とモモの静かな歌声から、最終回のエンディングで流れた「約束」。
“もっとそばにいて〜”と、もう1本のスタンドマイク前の林原の歌に切り替わり、2人のデュエットとなった。
これも『with you』収録の<MOMO&MEGU Version>。
しっとり歌い上げられ、間奏では、2人の会話も交わされた。
林原めぐみにしかできないパフォーマンス。

 林原が腕をゆっくりと天に突き上げると、場内は再び暗転。
雑踏のSE。スクリーンにはサンドアートで江戸を思わす古い街並みが描かれていく。
そこへ、また聴き覚えのある3人の声。
「えっと、サンプラザ中野、サンプラザ……」
「こっちで合ってるのかな?」
「右も左もわかんねえまま、いきなり飛び出すから、こーゆーことになるんだよ、ったく!」
「だって、お手紙うれしかったんだもん。みんなにまた会えるんだ! と思ったら、いてもたってもいられなかったんだもん」
どうやら 林原はいろいろなキャラクターたちに手紙を書いて、中野サンプラザへ招いたようだ。
サンドアートは街並みから富士山へ変わり、中野へ向かう3人はスマホのAIで道を探しながら、スクリーン内のサンドアートは、見事に中野サンプラザのビルを形作り、3人も到着した模様。
「みんなに会いにいこう!」と気勢を上げたところで、林原が黄色いヘアターバンに白い着物リメイクの衣裳でお出まし。

マリオネットダンスから端正な声で歌ったのは、『セイバーマリオネットJ』(96〜97年)のOPテーマ「Successful Mission」。
サンドアーティストの伊藤花りんさんもステージの端で、雨、不穏な雲、空から見つめる瞳……と流れるように絵柄を変えてスクリーンに投影させ、歌との生コラボを見せた。
 林原はさらに「hesitation」「I’ll be there」と、OVA版『またまたセイバーマリオネットJ』(97〜98年)の曲をたたみ掛ける。
この作品絡みではヴォーカルにしなやかな強さが出て刺さった。
衣裳の長い袖を振り回しながらの振りもダイナミックで、視覚的な見応えもたっぷり。
場内では各曲のイントロから歓声が上がった。

 また暗転から、懐かしのラジオドラマ『熱血電波倶楽部』のジングルが流れ、ステージには、ポツンと置かれたアンティークラジオと自転車が吊られている。
チリンチリン。「どいてどいてどいて〜」とハツラツとした女の子の声。ガッシャン。
「いてててて……。おっかっしいなあ。パパさんの地図が間違っているのかなあ」。
 どこかあどけない声の女の子は中野サンプラザへの道を迷っている様子。
自転車が壊れて歩きながら、そこへ「パパさん」から電話があり、地図が間違っていたことが判明。
さらには、その「パパさん」がよこしたミニジェットの屋根に乗せられ、「もうやだーーーっ!!」と絶叫しながら、中野サンプラザへ向かう……。

 そこでステージ奥の扉にシルエット。扉が開くと、後ろ向きでポーズを決めている林原。
振り返ると、上はセーラー服を思わすマリンルックに下はロングスカートという若々しいいでたちで、「私にハッピーバースデイ」をノリノリで踊りながら歌い始めた。
OVA『万能文化猫娘』(98年)の前期OPテーマ。
そう、OVA=オリジナル・ビデオ・アニメ。VHSの時代の曲だ。
会場からは“ハッピーバースデー”でシンガロングも起きた。
 同じくOVA『万能文化猫娘DASH!』(98年)のEDテーマ「幸せはちいさなつみかさね」は両手を後ろに組んでケンケンパのようなステップから。本人作詞(作曲も)の“神様、幸せ貯金どこかにありませんか”といった素朴な歌詞と温かみのある歌声がブラスサウンドに乗って心地良い。
続けて歌ったテレビアニメ版(98年)のOPテーマ「Fine colorday」では、軽くステップを踏んで歌詞の通り“かかと2回”床で鳴らしたりも。
“かわいいバージョン”の林原が堪能できる『万猫』ナンバーだが、この曲はかわいらしくも強い声で歌われて、凛々しさが醸し出された。

 一転、街の喧騒のSEとスクリーンに中野ブロードウェイの映像。
「今すぐ殴りたい。ここはどこなの?」
「いやあ、その、ちょっと、それは……」
 クールな女性とユルい感じの少年が淡々とケンカしながらサンプラザを探す会話。
中野の道中で、「ブロードウェイはアメリカのはずよ」などと言いつつ、女性の平手打ちも飛ぶ。
「本当は私はこんなところに来たくはなかった。人々の業が限りない。でも、あの人が『どうしても会いたい』と言うから」
「あの人だけじゃないと思うぞ。あれからどれだけの時が経ってしまったか、オイラにはわからねー。けど、みんな会いたいんじゃないかな。あの頃を一緒に過ごしたみんなさ」
 淡々と交わされる会話の最後には、「もう一度見せてやっか。オーバーソウルをさ!」をきっかけに“よみがえれー”と空気を切り裂くような歌声。

スモークが吹き上がる中、黒のロングワンピに赤いロングマフラーで現れた林原が歌ったのは、
もちろん「Over Soul」。
『シャーマンキング』(06〜07年)のOPテーマだったヒットチューンだ。
芯の強い声でバッサバッサ斬り込むように歌い、ステージでの存在感もたっぷり。
こぶしを突き上げ、客席では赤いサイリウムが振られた。
続く同作EDテーマでレゲエテイストの「trust you」は、ゆったりとやさしく。コントラストを付ける。
 さらに“お前さんを待つその人はきっと”と始まる和風アレンジの「恐山ル・ヴォワール」は情感を静かに込めて、朗々と歌い上げた。
ゆったりした悠久感に引き込まれた。
この曲はもともと、原作コミックの劇中詩にボカロPが曲をつけ、
林原が恐山アンナとしてカバーしたもの(11年)。
ネットに動画投稿された際は、歌っているのが林原か論議も起きたが、
この『シャーマンキング』絡みの3曲だけでも、林原の歌手としてのバリエーションの広さがうかがえる。

 次の暗転には、手紙をもらったキャラクターの声はナシ。
ステージ下手奥に、手すりに沿ったろうそくの灯りで浮かび上がる階段。スモークが雲のように垂れ込める。あの世を思わせる情景。
太鼓や笛のお囃子が流れ、上手の台に細身の落語家のシルエット。座布団に座って、ゆっくりお辞儀……。
 すると反対側のろうそくの階段の上に、白い襦袢姿の林原。
座って“さあ、悲しみの亡者は”とつぶやくように「今際の死神」を歌う。
声に質量がないような空虚感。それでいて“無の迫力”のようなものが押し寄せてくる。

 歌い終わりと共に暗転し、白装束を脱いで肩を出した青のスパンコールドレスに。気怠く歌い出したのは「薄ら氷心中」。
その場で黒いヒールを履いて階段を下り、白いストールを肩に掛けて、ステージ中央まで出ると、そのストールを首に巻き、モニターに片足を掛けて歌ったり。ジャジーなナンバーに場末の蓮っ葉感が漂う。
 この2曲はそれぞれ『昭和元禄落語心中』(16年)の第2期、第1期OPテーマ。
椎名林檎プロデュースで、デビュー25年にして切り拓いた新境地だった。
「薄ら氷心中」を“私は独り法師(ぼっち)”と歌い終わると、ブチッと照明が落ちて林原の姿も消えた。

 入れ替わりでスクリーンがステージの天井から降りてくる。
そこに映し出された“Dear岡崎律子”の文字。流れてくる「はなれていても」のBGM。
「あれから13年という時が過ぎました」と林原が岡崎さんに宛てた手紙が朗読されていく。
「あなたと会えなくなり、あなたの曲を待てなくなったとき、途方もなく悲しかった。けれど、あなたの残した歌たちを心で受け止めて聞くたびに、そこにあるエネルギーのようなものが途切れていないことを、やっと実感しています。今いないけれど生きている」
 スクリーンには、“for Megumi”と書かれた岡崎さんの手書きの歌詞、「雨の小犬」のデモテープ、2人の対談記事、「青空」の楽譜……などが次々とスライドで流されていく。
「あなたの残してくれた、やわらかい上向きな気持ちを、私なりに届けたいと思います。泣きたくなったときはちゃんと泣きます。そして今日、私は無理のない笑顔で立てていることと思います。『めぐちゃんらしいね』と微笑むあなたを思って楽しみます」

 手紙を読み終わると、ステージのセンターの扉から林原本人が姿を見せた。
名曲「For フルーツバスケット」を、『with you』に収録されたマーチアレンジの<for Youth>バージョンで歌っていく。
やさしく、心に染み渡るように。右手を左右に振ると、客席の青いサイリウムも一斉に左右に振られ、サンプラザが温かい空気に包まれた。
 音楽が終わり、「ようこそお越しくださいました」と、この日初めてのMC。
「しゃべらないと思ったでしょう? あえてしゃべらないことで、それぞれの世界を感じ取ってもらいたかったので」
「世の中がワケのわからない騒ぎ方をしていたけど、いいじゃない、五十路で1stライブだって(笑)。(ラジオの)『Heartful Station』が終わったり、ブログに手をつけたり、(『Tokyo Boogie Night』の)ネット配信が始まったり。何が良くて何が良くないのか、わからない。ただ、来たものに関して『じゃあ、どうしよう?』と言い続けてきたからの、今日なんだな」
 今回のチケットの当選がかなりの高倍率だったことにも触れた。
「『運を全部使っちゃった』とか言いがちですけど、運は運を呼ぶので。この運を糧にして運がついたと思って。外れてしまった方は次の運が巡ってくることが必ずあるから。ヘコみすぎるのでなく、下を向いていたら、ここ(顎の下)にお肉が溜まっちゃうので(笑)、上を向いて伸ばそう。そろそろみんなも年を取ってきたしね」

 そんなトークを受けて、再び岡崎さんナンバーの「Lucky&Happy」。
「お腹から日ごろ出してない声を有酸素運動のつもりで出して参加してください」と呼び掛け、サビの“Happy”のところでマイクを客席に向けて、合唱を煽った。
この曲は『がくえんゆーとぴあ まなびストレート』(07年)のEDテーマ。
すでに没していた岡崎さんの残した曲から、林原の希望でカバーしたもの。
 続けて「はじまりはここから」。
こちらは『ラブひな』(00年)の最終回EDテーマとして岡崎さんが書き下ろした曲だ。
林原はスカのリズムに乗って軽快に、ステージを小走りもしながら歌い、開放感が高まった。
“けんめいに生きよう”“本当のはじまりはこれから”。
岡崎さんの書いた素朴な言葉が耳に残る2曲だった。

 1stライブもいよいよ大詰め。「最後の曲になります。とっておきの曲を贈りたいんです」と林原が言うと、スクリーンがまた下りてくる。ラストに歌うのは「青空」と告げた。
もともとは林原への提供曲でなく、『with you』制作に当たり新たにカバーしたナンバー。岡崎さんが幼少期を過ごした軍艦島で撮った、ドローンによる空撮も含むMVはすでにネットでも公開されていたが、「実はもっといろいろな表情があの島にはあって、お伝えしきれなかった部分を映像を付けて、お伝えしようかと」と話す。
「軍艦島に関して、廃墟、朽ちたもの、寂しく痛く切ないもの……という以外の方向で伝えてる人って、まありいないのかもしれないと思って」
「物ごとは暗い形で捉えたら、ずっとその姿のままだけど、ちょっと裏側から見たら『そうじゃなかった』ということがあるんだと、この島から教わった気がします。では、お別れに、島に一緒に行った気持ちになって聴いてほしいと思います」。

 そして、静かに歌われた「青空」。
林原の歌い方は岡崎さんに寄せたのか、寄ったのか、相似形のように聞こえる。
スクリーンには、軍艦島の廃墟と緑が同じ画角に入った空撮映像、岡崎さんが住んでいた崖の上の住居棟跡の俯瞰、向こうにある海と島に打ちつけて砕ける波……といった光景が次々に映し出されていく。
それを背に、右手を上下させながら歌う林原。ステージを上手、下手、センターと手を振ったり、お辞儀をしながら歩いて。
2番まで歌い切ると背中を向け、見えない誰かとハイタッチを決めステージの奥へと消える。

 だが、映像は続いていく。そしてくりかえしの最後の歌声は岡崎律子さんのものに差し替わる。
ライブの1曲目「夢を抱きしめて」のはじまりは岡崎律子のコーラス。そして最後はボーカル。
はじまりと最後、彼女に包んでもらって成り立ったこの空間。会場に羽根が降ってきて、照明が落とされた。
「以上を持ちまして……」と終演を告げるアナウンスが流れる。
このまま終わるのか、終わっても悔いはないけれど…という空気をぶち破るかのように
「ちょっと、ちょっと、ちょっと!」とけたたましい声が空間を裂く。
「この私なくして、終わるも何もあるわけないでしょ! この中野ってとこはヘンテコな店がいっぱいあって、そこそこ良さそうな魔法道具が売ってたから、値切るのに時間かかったのよ! しかも無駄においしそうな匂いがしてくるし、食べないわけにはいかないじゃない!」
 やっぱり食べていたのか……と会場に笑いと歓声が起きる中、彼女は一方的にまくしたて続ける。
 強引にアンコールを煽る。確かに彼女抜きで林原めぐみのライブは終われないと、観客のコールも高まった。
爆発音がして、ステージセットのパネルが倒れる。流れ出す「Give a reason」の耳に馴染みなイントロ。『スレイヤーズNEXT』(96年)のOPテーマだった大ヒット曲。そして林原は「こっち、こっち」と客席後方の扉から姿を現し、ファンと至近距離の通路を歩いてステージへ。
黒いショールをマントふうに羽織り、赤のショートパンツに黒いブーツという衣裳。

 「Give a reson」に続き「Plenty of grit」、「front breaking」と『スレイヤーズ』シリーズの曲をメドレーで歌っていく。両足を肩幅に開いてガッツリ地に付け、腹の底からの力の入った声で、こぶしも振りながら。会場を一気に盛り上げつつ、パワフルさで魅了した。
 明けのアンコールMCの第一声は「岡崎さん、ごめんなさい。せっかくのエンディングだったのに、ぶち壊しちゃいました(笑)」。お墓参りに行って、許可は取ったそうだが。
「いつの間にか、みんな大人になったね。中学1年生で作品を追い掛けて、アニメ雑誌はお小遣いが足りないから、どれを買うか迷って。その頃のワクワク、ドキドキを思い出して、お持ち帰りいただけたらと思います。いつの間にか大人になった私たち。そして、これから大人になる子どもたちに何ができるでしょう? 聴いてください」
 そう話して、オーラスに歌ったのは「JUST BEGUN」。『スレイヤーズEVOLUTION-R』(09年)の最終回EDテーマ。林原は右手を左右に振り、会場の赤いサイリウムも一緒に左右に振られる。“出来そうで出来なくてやりのけて そのくり返しが道になる”“楽しい事も辛かった事もきっと輝いてるだろう”“人生(たび)はまだ途中だから”……。いつの間にか大人になって聴いたからこそ、胸を打つフレーズの連続だった。ハート型の紙吹雪が舞い、林原は伸びやかな声で“そうずっとずっと続いてく”と歌い上げて、ステージを後にしていった。大人のライブにふさわしいフィナーレ。

 無人になったステージ。「BECAUSE」のインストメロディに乗って、林原の影ナレが流れる。
「生きていると何があるかわからないなって、ちょっと面白く思いました。時代の流れだからとか、求められたからとか、そんな言い訳めいたことはもうなくて、立つと決めたからには、そこに立つ。やると決めたからには全力で。そうしてきた道が今日に繋がったと思います」
「気がついたかな? 今日みんなの前に現れたあのキャラ、誰も名乗ってないんだよね。きっと声を聴いただけで、あの子たちがみんなの心の中を駆け回ったんじゃないかな」
 その通りだった。キャラは名乗ってないんだっけ? とそのとき初めて思った。
声を聴いただけで、彼女たちの姿がもう脳裏に浮かんでいたから。
林原めぐみが“演じた”キャラということすら、意識しなかった。
そう思わせるのが声優・林原めぐみの真骨頂。役を演じるというより、人物を作り上げていて。
ステージでの歌やパフォーマンスでも、作品とキャラクターの本質を体現。
まさに声優業を揺るがない軸とする彼女らしい、そして彼女にしかできないライブだった。そのタイトルが『あなたに会いに来て』。

「あの頃の部屋やテレビやビデオテープやいろいろなものが、あなたたちの心に見えていたのではないかしら。だから『あなたに会いに来て』。目の前で歌っていたのは私だけど、きっと1人1人違う映像を心の中に描いていたはず」
「開けてしまったパンドラの箱。最後には希望が残った……なんて話があります。希望はみんなの中に見えた、その映像。懐かしい実家なのか、散らかっていた自分の部屋なのか。すっかり忘れていたあのシーン、あの日がみんなの支えなんです。そして私にとって、今日も支えになります」
「どうもありがとう。またいつか、どこかでね。林原めぐみでした」
 声優らしく最後は声だけで締める。会場いっぱいに、もうそこにいない林原めぐみへの拍手が広がり、「ありがとう」の声が飛んでいた。

PHOTO:釘野孝宏、TEXT:斉藤貴志

オフィシャルインタビュー

――1stライブをやって「セトリ」という言葉を初めて知ったそうですね(笑)。

林原 そうなの。ずっと「曲順」と言ってました。公録のときに「曲順はもうちょっとしたら決めるから」とか。スタッフも気をつかって、私には「曲順は早めに決めてください」と言ってくれてたから(笑)。

――他にも、ライブをやって初めて知ったことはありました?

林原 ブログにも書いたし当日会場でも言ったけど、大人ぶってスタッフにレッドブル100個差し入れて「私、カッコイイ」と思ったら、スタッフは150人いたそうです(笑)。たぶん私が一度も目を合わせなかった人もいるし、ラジオに来たハガキで知ったのは、チケットのもぎりをする面白いお兄さんがいたんですって。「行ってらっしゃい」と声を掛けてくれたとか。あと、「ネット転売は禁止」とどんなに口を酸っぱく言っても、転売されてしまうじゃないですか。「徹底的に対処します。身分を証明するものを持ってきてください」と事前アナウンスをしていたにも関わらず、やっぱりそういう人たちはいました。入れると思ったんでしょうね。すべてハジくために「そこまでしたか!」という事実も、私は一切関わってないから、あとでハガキで知って「すごいな」と思いました。自分の知らないところで、たくさんの人が動いていたんだなと。

――当日は過度な緊張はなく迎えられました?

林原 うん。公録でステージが始まる寸前はよく「口からウンコが出ちゃう」と言ってたんですね(笑)。ヤギみたいにポロポロ出てくるようで。廊下をウロウロ歩きながら「ウンコ落としていくけどごめんね」なんて、言って、スタッフに「ハイハイ…」といなされてたんだけど、今回もそういう感じもありつつ、最初の会議のほうが緊張したかな。そこに私は今まで参加したことがなくて、キングの人たちが全部やってくれてたんです。「こういう曲を歌いたい」とだけ言っておくと、「こんなセットになります」って図面が来て、「ここにハヤシくんが立ちます。ここがラジオパートのテーブルです」とか言われて当日を迎えました。何度か会議を重ねたのは今回が初めて。私の持論として「会議は短ければ短いほうがいい」と思っていて。その空間で、いかに短い時間で、自分のなかのインスピレーションを的確に伝えられるか。そういうことをこんなにたくさんのスタッフとやって、ステージを作るのか……という感覚でした。

――何人くらいのスタッフが参加する会議なんですか?

林原 20人いたかな? 舞台監督さんとか音響さんとか、いろいろな人を含めて。

――それが緊張感のある会議に?

林原 緊張というより、責任感かな。音楽を作るときもそうで、イメージが飛び交うのはすごく危険なんです。たとえば「黄色い感じ」と言っても、レモンを思い浮かべる人もいれば、ひまわりを思う人もいる。だから、より具体的な、みんなが共有できる会話をしていかないといけない。それは結構能力を求められるんです。

――確かに。

林原 私が何となくやりたいことを言葉で伝えても、具現化しにくい。「まず海を」と言ったら、出てきたのがプロジェクションマッピングの話だったり、うちのプロデューサーは「ステージに砂を敷き詰めて」とか言い出したり。何トンの砂が必要なんだよ(笑)? 私がやりたいのは、そういうことではなかったので。「海」というひと言でも、人によって出てくるアイデアは全然違うんです。予算をいっぱいかけて派手に見せる楽しさはひとつある。でも、そういうことをやりたいわけではない。出来るだけ地味?に。目からの印象を削って、耳からの情報をメインにする。人間の脳内に見えてくるものが一番のステージセットなんだと、この時代にどう伝えるか? 理解をすぐ得られるのか? それができたのはたぶん、さいたまスーパーアリーナ(での『KING SUPER LIVE』)で狙ったわけでなくTシャツとGパンで出たことが非常にプラスに受け取られて、ひとつ自信にはなっていたかもしれません。

――リハーサルはどれくらいやったんですか?

林原 歌のリハが1回と通しのリハが1回の2回ですかね。

――あとは自主練?

林原 そうですね。

――それだけで問題なくできたわけですか。

林原 バンドが入ってないからね。

――リハをやったらクリアしないといけない問題が山積みで……となったりはしませんでした?

林原 それはいろいろありました。「ここの着替えが間に合わない」とかで、ああだこうだと工夫したり。すったもんだは箇所箇所でありましたけど、「これはダメ」という状態のままにはしておけない。「じゃあ、どうするか?」と即座に考えるのはすごく大変でした。

――それを数少ないリハのなかで全部クリアしたんですか。

林原 うん。脳がフル回転でしたね。

――ダンスも頑張ったんですか?

林原 ううん。その場で動いただけ。

――えっ? 「Successful Mission」のマリオネットふうのダンスも練習したわけでなく?

林原 脳に浮かんだまま。振付の人もいないし、あえて、頼まなかった。

――へーっ。ステップとかもありましたけど、めぐみさんはダンスも天才的なんですかね?

林原 そんなことないですよ。「この曲はどうしたらかわいいかな?」とか、キャラクターとして考えると出てきます。私であって、半分はキャラクター。モモのことやライムの事を考えて、やっていた感じ。だから自分がどう動いたのか、覚えてません。
歌詞のまま動くイメージですね。“かかと2回ならして”だったら、2回かかとを床に打ってみたりとかね。

――役と同一化して台詞も自然に出るのは何となくわかりますけど、踊りは役に乗ったからといって、そんな簡単に動けるものですかね?

林原 だからね、自分で言うと気持ち悪いけど、私のなかにそこそこのモンスターがいるんだと思います。スイッチが入れば何ごとも、何でもない顔でやってのけちゃう。ということを、ライブをやり終えて思いました。今回、以前に朗読劇の演出をやってもらった藤沢文翁さんにアドバイザーとして入ってもらったんですね。カラオケだったから、1番、2番と歌い終わって、繰り返しの部分までの間をギターの人に振ったりできないし、ダンサーもコーラスもいない。1人では間が持たないから、「どうにかならないものか」と相談したら、サンドアートのアイデアをくれました。

――『セイバーマリオネット』のところで入ってましたね。

林原 終わってから彼と話したら、私が「演出家の顔だった」と。「何秒後にこれを出してほしい」とか、「アーティストがそこまで細かく指示するなんてそんなにない」と言われました。私が「自分が一番曲のことをわかっているから、どうすればお客さんが楽しめるかもわかる」と言ったら、そういうことではないらしいです。「ここは間髪入れず曲をつなぐ」とか「ここは暗転して」とか、映像のアングルとか、実際にインカムを付けて指示するわけではないけど、半分舞台監督みたいなことも結果していて、自分のことを「この人は振られたら何でもやっちゃうんだ」と思いました。客観的に「振付の人もいないのに堂々と出ていって、世界を構築するんだな」という。

――台本も全部自分で書いたんですよね。

林原 そう。脚本家でもないのにね。

――ダンスに関しては、人生のどこかの時期に基礎をガッチリ学んだとか?

林原 えーとね、中学のときのリトミック(笑)? あれはすごいんだよ。片手が3拍子で、片手が4拍子とか。で、足がシンコペーションとか。そんなことを太鼓ひとつでやってました。学校で。

――体育の授業で?

林原 うん。その授業が好きでした。みんなは「頭がこんがらがる」と言ってたけど。中学から高校まで一貫して習ってました。中1では手拍子で1とか2しかできなかったのが、中2になると少し難しいこともできるようになって、中3では足もちょっと付けられました。高3になると、グルグル回りながら神業みたいなこともやっていて。今やれと言われてもできないけど、その基礎があるんだと思います。

――やっぱりダンスのセンスもあったんでしょうね。

林原 どうだろう。本当のダンスを知っている人に見られたらお恥ずかしいけど、「ファンの人しか見ないからいいや」くらいの気持ちでした。

――今までの公録のステージでは、ギリギリまで「帰りたい」と言ってたそうですが。

林原 今回も1日じゅう「帰りたい」と言ってましたけど、さすがに腹は決めました。あとは公録と違って、セットの移動とか吊り下げるものとかいろいろあるから、ひたすら「事故が起こりませんように」という。最終的に私が気を抜いたらダメだと思って、神がかりっぽくて気持ち悪いけど、最後の最後までこの空間に結界を張るくらいの意識を持ってないと、何か起きてからでは遅い。そんな心境でいました。

――歌やパフォーマンスは納得いくものになりました?

林原 あまり記憶がありません。リハーサルをしたので「こういうことをやった」というのはもちろんわかりますけど、本番で何をしゃべったかも、正直、覚えてないですね。

――ライブの本筋の歌には不安はなく?

林原 そうだね。不安は「どうか事故がないように」というだけ。極端な話、ファンの人しか来てないから、「私に何かミスがあっても笑って許してくれる」くらいの気持ちはちょっとありました。でも、何かがバタンと倒れるとか、ボーンと落ちてくるとか、そういうことがあったらシャレにならないので。

――構成はいろいろ考えた末に、ああなったんですか?

林原 「ライブをやってください」と言われたときから、「私がやるライブって何だろう?」「できることは何だろう?」と、ずっと考えてました。
公録のなかではいつも歌っていたから、それを延ばすのはどういうことなのか?
 「やっぱりみんなが好きな曲を届けるのがいいんだろうけど、20曲か……」とか。
初めてレコーディングした「夜明けのShooting Star」から最新の曲まで入れようとすると範囲が広すぎる。
で、『with you』を出すことと岡崎(律子)さんへの想いを考えたとき、「岡崎さんで始めて岡崎さんで終わろう」と思ったんです。『(魔法のプリンセス)ミンキーモモ』が最初に浮かんで、モモから他のキャラクターたちにバトンをつないでいこうと。そういう感じですね。

――完璧というくらい隙のない構成になりました。

林原 いい構成じゃない(笑)? でも『with you』を出してなかったら、また違う形になっていたと思います。そのときは『with you』なんてタイトルも決まってなくて、岡崎さんの作品をまとめようと動き始めていた感じですけど。

――最初に海にいるモモに「一緒にあの頃の夢をみたいの」と手紙を送った形から、大人のお客さんの胸を打ちましたよね。

林原 どうやってキャラクターのみんなを呼び寄せようか、すごく考えました。

――各作品から3曲ずつ選ぶのは悩みませんでした?

林原 そんなに。作品が決まった時点で、てらわずにいわゆる代表曲にしようと。挿入歌でいい曲もあるし、メジャーでなくてもファンの人が好きな曲もあるけど、一番は“あなたに会いに来て”だったので。主題歌を聴いて私を見ながら、当時のアニメのオープニング映像を思い出した人がいるかもしれない。学校から走って帰ってきてアニメを観た子もいた時代だし、玄関とか観ていた部屋とか録画したビデオカセットが見えてほしかった。「ビデオの背に張る帯を作ったな」とか「箱がすぐなくなっちゃうんだよな」とか、そういうことを思い出してほしいと思いました。

――そうしたなかでも、『シャーマンキング』では「恐山ル・ヴォワール」を入れようと?

林原 これは原作の武井(宏之)さんがすごく好きなこともあったし、葉とアンナの会話を入れるに当たり、2人の関係性を一番物語っている曲だったので。当時、私が武井さんに頼まれて恐山アンナとして「歌ってみた」に上げたら、大騒ぎになりました。一番うれしかったのが、「本人かどうかわからないけど、歌ってくれてありがとう」という反響でしたね。なかには「本人よりヘタ」とかボロクソに書いてる人や「本人が歌うわけがない」という人もいたけど、あれを投じたことによるざわつきから、私がいただいたものは多かった気がするんです。作品が残したものにはすごく力があるということ。それが今回の葉くんの台詞にも活かされています。「関わっちまったからには忘れようがなく」という。この曲を何気にニコニコ動画に上げることを、プロの粋な遊びとしてできたのをうれしく思った……という背景があるんですよね。

――当時、めぐみさんはあまりネットに触れてなかったのでは?

林原 全然見てなかった。「ざわついてる」と言われて見たら、ビックリしちゃった。画面にワーッと字が流れていて、「何これ?」みたいな(笑)。

――いわゆる弾幕ですね。

林原 初めて見ました。「速くて読めない!」と思ったら、「横にちゃんと出てます」と言われて、「あっ、そうなの?」という(笑)。

――それで「Northern lights」より、こっちを選んだんですね。

林原 全部お腹いっぱいにしなくてもいいかなと。「Over Soul」があるし、「Northern〜」は公録のほうで歌ったから。

――生で歌うのが大変な曲はありませんでした?

林原 全部(笑)。レコーディングでは「ここはちょっと音が外れたからもう1回」なんてできるけど、投げっぱなしだもんね。

――椎名林檎さんの2曲は難易度が高くなかったですか? “無”なニュアンスの表現とか。

林原 林檎ちゃんの歌は一回自分のものにしてしまえば、意外と歌いやすいです。私にとっては。椎名林檎さんが歌う曲を歌おうとしたら難しいけど、あの時点で、ちゃんと、私あてにかかれていて、しっかり私のものになっていたから、辛くはなかったですね。それより、階段から落ちないようにしないといけなくて(笑)。あの座っていたところ、すごく細かったんです。

――客席からはわかりませんでした。

林原 着物で「今際の死神」を歌っていたとき、すごく細い階段を降りなきゃいけなかったから、そっちで頭がいっぱいでした。コケたら、めっちゃカッコ悪いからね(笑)。

――『スレイヤーズ』ナンバーは最後に持ってくるしかない感じでした? というか、最後にうまくハマりましたが。

林原 岡崎さんの曲で涙で終わるのもな……と思って。雰囲気をぶち壊すのは、リナしかできないから。きっとみんなも聴きたいだろうし。

――やらないわけにはいかない。

林原 そうだね。そこまで意地悪じゃないから(笑)。

――「JUST BEGUN」をオーラスにすることも早くから決めていたんですか?

林原 そうです。締まるでしょう? この曲。“終わり”って感じに加えて未来があるから。もともと『スレイヤーズ』シリーズの最後の最後のエンディングでもありましたし。

――大人になって“人生(たび)はまだ途中だから”とか“ずっと続いてく”と聴いて、染みるフィナーレでした。

林原 前にも言ったけど、「夢は叶うさ」という10代、20代があって、30代くらいに「叶えるばかりが夢ではない」と気づく。叶えるために何をしたかで次の夢になる、という。たとえば、声優養成所に入ったけど声優になれなかった。でも、保育士になって「絵本を読むのが誰よりも上手」と言われたとか、養成所に行ってなかったら人前で何かをすることをてらっていたかもしれないとか。「なりたい」に向かって全力でやらなきゃいけない年代があって、その全力が次の10年を支えるんだと思う。30代で何をして何を見たかが40代につながって、そして50歳で1stライブかい? って感じだけど(笑)、そういう意味で「叶うばかりが夢じゃない」みたいなこともちりばめました。

――もともと「JUST BEGUN」の歌詞を書いたときから、大人にも向けたイメージもあったんですか?

林原 これはポコタという、そのときリナが関わったキャラクターに向けて書いたんですけど、レコーディングが終わってアニメの本編を観て、「これはリナにも言えるな」と思いました。結果的に全体的な歌になってました。

――それが今回のライブに生きて。

林原 10代の子が観たら「何のこっちゃ?」ってステージだったと思いますけど(笑)、お客さんは年配の人が多いと想定して組み立てました。ただ、10代の子も実際いたみたいで、「知らない歌がいっぱいあったけど、どこかで聴き覚えがあった」とか「何だかわからなかったけど、とても面白かった」とか、わからないなりに楽しんでくれていたようです。それこそテーマだった“不親切”の成功例という感じがしました。

――最初のモモに宛てた手紙でも「叶わなかった夢ってどうなっちゃうのかな?」というくだりがありましたね。あと、「大人になってからも、いろいろあるの」とか、お客さんの共感度が高かったと思いますが、あの手紙もスラスラ書けました?

林原 ラジオをやっていて、たくさんのハガキや手紙にちゃんと目を通しているから。私にしかできない……と言うと奢ってるみたいでイヤだけど、「私らしいライブって何かしら?」ということをすごく考えたんです。よくパイオニアだ何だと言われて「何のだ?」と思ったけど、たとえば声優がアニメの主題歌を歌う、ラジオをやる、雑誌に出る……といったことで、私がひとつの成功例になったから、後輩たちも歌やラジオをやるようになったと言われているけど、ラジオをやったんじゃなくて、手紙やハガキを沢山読んだんだよね。「そこ」ありきね。

――そうですね。

林原 でも、その部分はカットされて、とにかくマイクの前に座らせられる。やりたくない子まで売れるための道としてやらされて、「ラジオでどうしゃべっていいのかわからない」ということにもなっている。そこで少し何かが変わった気がします。たとえが難しいけど、介護士でも「生活の安定のために」と資格を取った人と介護の仕事がやりたくて取った人が同時に仕事を始めたら、挫ける確率はどうなんだろう? 介護士を夢見てきて「現実はこうなのか」と挫けることもある。一生懸命お世話しても当たり前の顔をされて、実は自分は介護を好きじゃないと気づいたり。逆に「取った資格は使わなきゃ」と始めてみたら、世の中に日常生活を送るのも大変な人がいることを知って、「私にできることは何だろう?」と、どんどん介護への気持ちが強くなる人もいる。両方あると思うんです。何か1コのことをするとなったら、人によってプラスにもマイナスにもなる。

――それが声優さんのやる仕事にもあると?

林原 後輩のラジオに遊びに行ったら、作家さんが全部選んだハガキを読んでいて、「何が楽しいのかな?」と思ったんです。さっきも言ったけど、私は届いたハガキは全部自分で読むし、読むことが楽しいし、そこからはじまる。みんなが今、どんなことを抱えているのか? 何を思っているのか? そういうことがわかるから。番組ではほんの一部しか紹介できないけど、そんな積み重ねがあって。忙しいスケジュールのなかでハガキを読むのに2時間割くなんて、事務所は「やめてくれ」と言うのかもしれない。でも、「はい、これを読んでください」と言われて、30分でラジオを録って、「じゃあ、次の現場へ」って……。“仕事がある”ことと“仕事をする”ことは違うんだよな。アニメでも私は「台本はほとんど読まない」と言ってますけど、台本の向こう側の世界を考えることに時間を費やしていて。それをしてきたからこそ今回の脚本が書けたし、年配の人たちに向けて恥ずかしげもなく“夢”のことを語れたと思うんです。林原めぐみさん、1日にしてならず(笑)。それは(『ポケットモンスター』の)ロケット団にも言えるんですよね。私がミスをすれば、三木(眞一郎)くんが拾う。三木くんがヘニャッとなれば、ニャース(犬山イヌコ)が笑う。本当にロケット団みたいな3人がアフレコスタジオにいるんですけど、そういうことがやりにくい時代になっているのが切ないな。忙しい人は抜き録り。売れっ子さんは次のスタジオがあるから「これを読んでおいてください」とかね。後輩には一生懸命教えてますし、それを汲み取って「10年後はこうありたい」みたいな気持ちで頑張ってる子もいる。だからと言って、どうなるかはわからないけど。何か“目に見えない努力”というのも恥ずかしいような、人にお届けするなら努力でも何でもない当たり前のことの積み重ねが、50にしての1stライブだったのかな……という気がします。

――台本では、キャラクターたちの台詞や掛け合いを書くのも、そんなに苦労はしませんでした?

林原 ヌクヌクがどこで何をしていたかとか、私の体のなかにたくさんあるので。台詞は覚えてなくても、ヌクヌクがどんな生活をしてきたかは、もう体に染みているんですよね。

――25年前とかに演じたキャラクターでも?

林原 うん。モモちゃんの名台詞とか言われても「そんなのあったね」となるけど、モモちゃんが何を考えていたかはすぐ思い出せます。台本に書かれていない彼女の生活みたいな部分を勝手に作っていたし。もちろん監督とすり寄せていて、ただ私の妄想が広がったわけではなく、作品に沿っているわけですが。

――26年前にモモを演じていた頃から、出ている台詞を読むだけでなく、“台本の向こう側の世界”のことも考えていたんですか?

林原 たぶんそれは(デビュー作の)『めぞん一刻』のときから、音響監督さんに植え付けてもらったんだと思います。ウェイトレスの「いらっしゃいませ」という台詞をただ一生懸命言ってたら、「このウェイトレスは今日1日をどんな気持ちで過ごしているの?」というようなことを聞かれて、そんなひと言の台詞にも「不機嫌な感じで」と言われたり。そういうことを考える作業は最初から当たり前にようにやってました。

――今回のライブは衣裳も自分でデザインを考えたとか。

林原 そうなの。もう大変でした。本当に。イメージした衣裳の絵を「こんな感じ」って描いて、ヘッタクソなんだけど、スタイリストさんに見せたら「上手いよ」と言ってもらえました。

――それも学生時代に何かで描いてたり?

林原 ううん。ただファッション雑誌を眺めるのが好きで、特集ページの“たまには夫と二人で焼き鳥屋に出掛けるコーデ”なんてのを見て得たものを『DUO』の写真で使ってみたり。実際にそんな服は着なくても、世の中が求めている空気みたいなのをいただくのが好きだから。きれいなモデルさんがきれいな服を着てるのは当たり前だけど、それをどう日常に活かせるか、雑誌を作る人はすごく工夫しているじゃないですか。そこにデザインのラフ画が載っていたりすると、「このデザイン画から実際こうなったんだ」とか見るのが好きなんです。

――今回はキャラクターにも寄せたんですよね?

林原 それで一番悩んだのがヌクヌクです。セーラー服はダメ。痛すぎます(笑)。かと言って猫耳も違うし。でも、ちょっと肩を出して(マリンルックの)セーラーな雰囲気だったらギリギリかな? という感じでやってみました。自分ではあれでもギリギリを越えたと思いますけど(笑)、「まあ、いっか」と。

――全体的に大人なバランスは取れてました。

林原 それは、よかった。あと、ライムの服は白無垢だけ私が揃えて、「こういうふうに切って、こうしてください」と作ってもらいました。本物の白無垢を使っているので生地がすごく厚くて、スタイリストさんが苦労してました。裾を切って余った分が布団のように家にあるそうです(笑)。

――あの長い袖は歌っているときに振り甲斐があったのでは(笑)。

林原 振り甲斐、ありましたねー。顔にバッシバシ当たるくらいで「こんなに長いんだ」と思いました(笑)。

――今回は“あなたに会いに来て”がライブタイトルになってました。

林原 それぞれの若かった頃の自分に会ってねと。

――めぐみさん自身も昔の自分に会えました?

林原 ライブ当日よりも、ラジオドラマを録ったときに「タイムマシンだな」と思いました。声はいくら当時を再現しようと思っても、聴く人が聴いたら年齢を感じたりもするでしょうけど、脳のなかは一瞬でグアーッとミンキーモモをやっていた頃の自分に戻るんです。アンナとして葉の声を聞けば、生々しい言い方ですが子宮の横がちょっとキュンとする感じがあったり。佐藤ゆうこが葉になるまで、しばらく時間がかかって「あんたねえ」と、ちょっとイライラするのも、当時のスタジオのまんま。それも含めてアンナと葉に重なって、私にとっては佐藤ゆうこ愛ですけど、「ごめんなさい! ちょっと待ってください! あっと、えっと……」とか、当時と同じようにアタフタしてました(笑)。『セイバーマリオネット』の白鳥(由里)ちゃんや平松(晶子)ちゃんも会った瞬間からキャラになっていて、何か「声優っていい仕事だなー」と思った。

――頑張っていた自分を思い出す感じも?

林原 「作品って不滅だな」と改めて感じました。きっと私が死んじゃったあとでも『ミンキーモモ』が再放送されたら、おもちゃ屋さんで売ってなくても何かステッキを振り回す子がいるかもしれない。だからDVDボックスが出て棚に置いてあるのも素敵なことだけど、いかにたくさんの人の目に触れるか、元からファンでない人も含めて、ということが作品にとって幸せなんだろうなと、すごく考えました。実際、いまだにどこかで『らんま1/2』が再放送されると、ラジオに突然小学生からのハガキが来ますから。何じゃらほいと思ったら、「お母さんと一緒に『らんま』を観ました」とか「灰原哀の人がらんまだとは知りませんでした」とか書いてあるんです。新一もらんまなんだけど(笑)。作品が落としていくものってすごいし、自分がこんなにいろいろやってきたことを振り返る日が来るとは思いませんでした。会場でも話しましたけど、後ろを振り返るのはマイナスなような気がしていたけど、これだけ後ろができたら、後ろから教わることもすごくあって。

――公録で「後ろを向いた分、前の景色が変わってる」と話してましたね。

林原 後ろがあるからこその前なんだなと。10代や20代のときに見た後ろと、30代や40代で見える後ろは、景色が違うから。振り返れるものがたくさんあって、老後が楽しそうだと思いました(笑)。

――振り返れるものをたくさん作ってきたからでしょうけど。

林原 本当に。誰に感謝したらいいのかわかりませんけど。

――最後の影ナレで「キャラクターたちが誰も名乗ってない」という話がありましたが、そう言われるまで、名乗ってないことに気づきませんでした。声だけでキャラクターが浮かんでいたので。

林原 そこがたぶん林原めぐみさんなんでしょうね。

――「いつの間にか、みんな大人になったね」は、自分についても思うことですか?

林原 何という言い方をしたらいいかわからないけど、私はただ好きな仕事をしていただけなのに、感謝されたり好かれたり敬愛されるのは、何か申し訳なく思います。役に対する取り組み方は、デビューしたときと変わってないわけ。大役だろうがチョイ役だろうが、台詞が多かろうが少なかろうが、敵だろうが味方だろうが、男だろうが女だろうが。でも、自分が取り組んできた子たちがいろいろなところに影響を与えて、取り組んでいた私も尊敬してくれている。50歳だからかもしれないけど、25歳の頃とやっていることは変わってないから。本当に「いつの間にか」ですね。

――この1stライブも未来につながるんでしょうか?

林原 どうなんでしょう? 私のなかでまったくプランはないです。出し切っちゃったから。もう100回くらい言ってますけど、CDを出すのも、いつも「もう終わり」と思っていたら、何かが沸いてきたり啓示を受けたりして、次もあった。でも、新たに出会う誰かが「こうしませんか?」と言ってきて、時間と空間といろいろなことが合致したら、何かがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。まったくもって行きあたりばったりな感じですね。

――チョクに2ndライブをやるとかでなくても、何かが自分のなかで目覚めたりもしませんでした?

林原 これをやったから次の自分が見えてきた、みたいなこと? それはないなー。やり切った感じしかない。ただ、みんなの反応に「気をつかってくれてたんだ」と思いました。私が1stライブをやると言った途端、「大丈夫ですか? うれしいけど信念を曲げざるをえなかったんですか?」とか。レギュラーで動いているものと違って、軸がどっちに行ってるんだかわからない。喜びや怒りや嘆きや気づかいがワーッと来て、すごかった。まだチケットも発売してないのに「地方でやらない」と怒ってる人もいたし、「グッズは転売されますよ」と言ってきた人もいた。スポイトからポンと水を垂らしたら、広がってすごいことになった印象です。良いことも悪いことも含めて。動くって、そういうことなんだろうな。何もしなかったら、自分のクジ運の悪さを嘆いたり、悔しい想いをした人もいなかったわけじゃないですか。

――倍率はどれくらいだったんですか?

林原 公表はしてないけど、応募は万越えでしたね。そんなに観たい人がいたことも驚きでした。0.何パーセントかは冷やかしの人がいたとしても。

――総じて「やって良かった」というのはありますよね?

林原 わからないですね。良かった人もいただろうし、悔しかった人もいただろうから。いろいろな人のいろいろな気持ちが生まれた……って感じかな? 私はとにかく事故がなくて良かった。

――今までにない高揚感があったりは?

林原 それはない。ただ、ちょっとブログにも書いたけど、感謝の置きどころは考えました。みこしのてっぺんに乗ることの意味? 乗れる人はそんなにいない。言われたから乗るんじゃダメで、乗るからには「さあ、鳥居まで行くよ」って、その空間にいる全員を納得させて担がせないといけない。そして、担いで肩にコブができた人も列から乱れちゃった人もすべて、鳥居の向こうに連れていく。そういう意識でやらないと。なんてことを考えたのは初めてだったかな。

――今までもいろいろな形でみこしには乗りつつ?

林原 たとえば『スレイヤーズ』のリナとか、主人公役は座長として、ベテランの方が来たときに気をつかったり、ストーリーの流れをわかってない人に教えてあげたり、番組を成功させるためにいろいろと気を配るんです。それもみこしのてっぺんではあるけど、担いでくれる人たちの顔が見えるんですよね。でもライブでは、目を合わせもしない黒Tシャツのスタッフやチケットをチェックする人も、「また観たい」と言ってくれる人も観られない人もすべて、いろいろな渦に巻き込むわけです。みこしが上がるというのはそういうこと。そのてっぺんはあまり好きな場所じゃないけど、林原めぐみさんという人はそこに乗るんだなと。

――そういう星の下に生まれて。

林原 星なのかな? そこは日ごろの自分とのギャップに驚愕しますね。

――“感謝の置きどころ”というのは、目も合わせないスタッフに対しても……ということですか?

林原 うん、そう。あと、うれしかったのが、私は昔からファンの人に対してどこか厳しくて。たとえば20年くらい前から、「イベントで禁止なのに写真を撮っている人をどう思いますか?」と聞かれたら、言い方はきついけれど「それは、私にとってはファンだと私は思えない」と言うしかない。欲を満たすことが目的になってしまってるからね。「でも、私がその人に直接注意はできない。ダメだと思ったら、言い方含めて、あなたが『ダメですよ』と注意しないといけない」というようなことを、再三言ってきたんですね。「自分が出したゴミは持って帰るように」とか。何様? みたいなことだけど、そういうのがジワジワとファンの人からファンの人に伝わったみたい。物販に並んでいるときにトイレに行きたくなって、「ここ取っておいて」「いいですよ」とか、ファンの人のマナーがとても良かったと、ライブ後のハガキで随分来てました。そういうイベントに初めて参加したという人から「ファンの人がやさしかった」と聞くと、「自分が楽しむだけでなく、ちゃんと他の人のことも気づかえるお客さんが来てくれていたんだな」と、ちょっと誇りに思いました。

――それも20数年の積み重ねですもんね。さっきの未来に向けた話だと、今は出し切った感しかないとしても、また水を注いでくれる何かがあれば、新たに動き出すかもしれないわけですよね?

林原 そうだと思います。その水がどこから沸いてくるのか、誰が注いでくれてどうなるのかは、今の段階ではわかりませんけど。

――めぐみさんはいい意味で“終わる終わる詐欺”の常習犯ですからね(笑)。誰も終わってほしいとは思ってないので、いいことですけど。

林原 ホントだよね(笑)。でも、今は“もう終わり”としか思えなくて。だって、あれ以上のことはすぐには考えられないから。そう言いながら次に何かやって、また「これで終わりです」と言える日を楽しみにしています(笑)。

PHOTO:釘野孝宏、TEXT:斉藤貴志

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