高山カツヒコ(シリーズ構成)×小林尽(原作)スペシャル対談
スペシャルメッセージ:新房昭之
「『夏のあらし!』舞台設定に迫る!」
――まず、なぜ大倉山(神奈川県横浜市)を舞台にされたのでしょうか?
小林 最初に「夏休みの喫茶店ものをやりたい」という話があって、喫茶店の漫画といったら景色重視になるだろうと。それならば、坂道をたくさん出したほうが絵になるだろうし、東京から近くてちょっと懐かしい雰囲気があるところというので選んでいったら、大倉山になりましたね。あとは昔の戦争の話を絡めたかったのるということで、日吉に海軍の総司令部の地下壕があったから、その周辺だと大倉山記念館の辺りが一番特徴的なんですよね。その2つの理由から決まっていったという感じです。
――お話の中では夏休みですが、撮影に行かれたのは春ということで、桜の季節の大倉山記念館というのも、またいい雰囲気がありますよね。
小林 昼間、あそこでボーっとしていると、おじいさんや保育園の子供たち、近所のおばさんから若い兄ちゃんとかまで、いろんな人が前を通っていくんですよね。そういうのもあって、いいところだなと思います。駅の裏からすぐ坂道を上って、住宅街の中に突然ポコッて現れるのもいい! 一度、漫画を描いているときにイメージがわかなくて、真夜中にあの辺りをブラブラ歩いたことがあるんですよ。その時にはイメージは浮かんだけれども、話は思い浮かばなかった(笑)。
――あらしたちが通っていた大倉山高等女学校は、大倉山にある廃校になった学校をモチーフにされたのでしょうか?
小林 正確にいうと、大倉邦彦(大倉山記念館の創設者)があの一帯を文化的に開発した時に作ろうとしていたけれど、戦争で計画倒れになっちゃった学校があって、それがもし高等女学校だったとしたら?ということで設定しました。高等女学校というのは当時珍しくて、お金持ちの人じゃないといけなかった。だから実際の学校をモチーフにしているというよりは、「もしも女学校があったら?」ということでの設定ですね。
「アニメ『夏のあらし!』は実際の写真をそのまま背景として使っている。
その仕掛けや撮影秘話」
(ED)
――エンディングで使われている実写映像や本編中の背景の撮影はお二人で回られたそうですが、苦労されたことなど思い出をお聞かせください。
高山 撮影には2回行ったんですよね。1回目は僕の車で行って、とりあえずシナハン・ロケハンのつもりで静止画の写真を主に撮りに行きました。2回目は小林先生の車で行って、エンディング用の動画を撮ってきました。
※シナハン:シナリオハンティングの略。物語などの構成において物語の舞台となる場所を調査し、脚本に盛り込んでいくロケーション・ハンティング。
高山 早朝から行って少し明るくなったところで大倉山を回って、坂のアップダウンしているところを、あちこち写真に撮ってきました。
小林 ちょうど通勤・通学でみんなが歩き始めたところで、周りの住宅地も撮ったりして。高山 あの山から1回下りて、また登りながら撮っていく。
小林 それが1回下りたらなかなか戻れないんですよ。すぐに戻れるかな?と思ったら、住宅街を大回りして、かなり歩かされました。
高山 住宅街がまた、丘とか山とかの斜面に建っている家だから、形がみんな変わっているんですよ。それが面白かったんで、そういう家をたくさん撮りました。
小林 大倉山の家って特徴的で、坂が多くてあまり土地を取れないから、1階は高いコンクリート造りにして、掘り込んで、住居部分を上にするんです。その玄関まで階段でかなり上っていかなきゃいけないという家が多い。切り立った家々というイメージですね。
高山 あと、斜面にたくさん家が建っているから、家の屋根越しに隣の家の窓が見えるような、不思議な空間にもなっていた。それと町中にドン!ドン!と建っている高圧電線の鉄塔とか、面白い風景をたくさん撮って、あとは神社と、大倉山記念館と、その周辺の緑と公園ですかね。その後は白楽のほうへ移動しました。
そして白楽のあとはベイブリッジのほうに行きましたね。そこでちょうど夕方くらいでした。
高山 横浜の中心付近も一応全部撮っておこうかと。
小林 横浜市内を写真に撮りながら、ベイブリッジを渡って、戻ってきた辺りでもう日が暮れました。
でも、印象的だったのは2回目のほうかなあ? 高山さんが忙しかったから、僕が車を出して迎えに行ったら、駅前に大荷物で変な装着具を付けた人が立っていた!(笑)
結果的にそれは、ステディカムという機械を使う時に着ける装着具だったんですけど。
高山 ステディカムというのはカメラが手振れしない機材なんです。そのカメラを付ける部分にカメラの代わりにMD42(マイク)をくっつけると、『エイリアン2』のバスクエスのスマートガンになる(笑)。
小林 つまり、走ったり歩いたりしても滑らかに絵が撮れるということでエンディングの撮影向きなんですけど、そんなものを持ってくるなんて一切聞いていなかったから、「変な人がいる!」って(笑)。
高山 普通あれは機材車で運ぶものであって、手で運ぼうと思ったらとんでもなく重くてまず持てないから、だったら着ていくしかない。
小林 それプラス、でっかいカバンを2つくらい持って。
高山 キャメラが入っているやつを持っていたからね。
小林 それで「うわあ」って思いながらも、大倉山に行って、機材を装着して、カメラを取り付けて。
高山 坂道を歩き回りながら撮影しました。ただ、あれはキャメラを持って走り回ってもあまり手振れがしないという機材であるのだけど、それはキャメラなしでもあの坂道を走れる体力があって初めて出来る話であって、自分にはその体力がありえない(笑)。物書きは足腰そんなに強くないですよ。
――機材全部で重さはどのくらいなんですか?
高山 9kg。
小林 重いですよ。
高山 だから、坂道を上り下りするだけで手いっぱいで、キャメラがぶれないようにするほうまで神経が回らない。
小林 しかも細かい操作をしなくちゃいけないから、結構難しい。
高山 本当に手持ちで撮るよりかは滑らかなんだけれど、あの機材だとちゃんと着ければもっとぶれないのよ。なおかつ早回しにしていたから、ぶれが出てるんだよね。
小林 だいぶ高山さん走ったと思いますよ。頑張ったと思います。
高山 たぶんねえ、2年半分くらい走った!(笑)
小林 あと、新房監督に夏の景色を撮ってきてくれと言われましたね。
――春先に撮影に行かれたのに(笑)。
小林 なんで梅が咲いている時に夏の景色を撮らなくちゃいけないのかと(笑)。
高山 梅が画面に入らないようにするのも大変だったよね。
小林 梅を避けて、緑の景色が撮れたと思ったら、そこに映っていたおばあちゃんが長袖だし(笑)。
高山 で、竹林とかいろんなところを走り回ったり、カメラを振り回したりして。
小林 夏らしさを演出するために、水を出したりもしましたね。
小林 あとは商店街で金魚鉢を撮ったりとか、魚屋さんに行ったら水槽だったりとか、いろいろやりました。最後は喫茶店に行って、アイスコーヒーを頼んで、グラスの氷のアップとか、一生懸命2人で撮りました。
――そうやって撮影された映像が使用されたエンディングを、実際にご覧になっての感想はいかがでしたか?
小林 加工がすごいなと思いましたね。よくあんなに加工したなって。本当にあれはまっさらな映像だけだったんですよ。しかも早回しだったのが、よくあんなになったなって。
高山 大倉山記念館に続く階段を上がっていくところとかは、実際に見ても印象的で、そういう特徴的なところを撮っていったら、やっぱり使われていましたね。
(本編)
――本編中でも実写映像が背景として使われていますよね。
高山 その時に撮った映像は現場に渡してはありましたが、実際にどう使われているのかというのは映像になるまでわからなかったです。
小林 本編用にはどういうアングルで撮ればいいのかというのもわからなかったですからね。9話のCM明けで、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が流れながらグラサンが歩いているシーンは、反町の映像がパッパッパッと映し出されて、それはすごいアングルだなあと思いましたけど。
――7話で潤が友達と会っているシーンでも、町の風景はいろんなアングルで出てきていましたね。
小林 あれ、いいですよね。屋外だなという感じがすごく伝わってきましたよね。デザインチックなタイルの置き方もよかったし。
――マンホールのフタも、実際に横浜市で使われているものでしたね。
小林 横浜市のマンホールは場所によって独特のマークが入っているんですよね、ベイブリッジのマークとか。そうやって、アニメというフィクションの中にちょっと実写でノンフィクションが入ってくると、感情移入がすごくしやすくなる。ああいうのって重要ですよね。
――2回に渡って撮影で行かれて、高山さんから見た大倉山の印象はいかがですか?
高山 僕は初めて行ったんですけど、身近ですぐ行けるところに、商店街が生き残っているのが、今となっては珍しい風景だなと思いました。地方都市だと整備の仕方が違っていて、電気屋も百貨店もスーパーも大型のものばかりが出来ていって、ちっちゃい商店街は逆に寂れていくんですよ。でも、大倉山辺りは大きな量販店がなくて、町の商店街がずっと元気よく残っている。
小林 たぶん丘陵地帯だから、大きな建物を造れないのもあるんでしょうけど。
高山 そうなのかなあ? とにかく、住んだらいいところだろうなという感じがしました。
――小林先生は、改めて今回の撮影を通して大倉山の印象が変わったということや、再発見したことはありましたか?
小林 白楽の商店街を歩いたことはなかったんで、面白かったですね。ハマっ子っていうんですか? やっぱり元気だし、密集したところに店がいっぱいあって、人と人との距離も近い感じがしましたね。靴屋の方に話を聞いたりしたんですけど、「店員」じゃなくて「靴屋のおじさん」みたいな感じがしましたし。その辺は発見でしたね。あとは本当に坂が多い! 夏なんか大変だろうなあ。
高山 原付なしじゃ生活できないね、俺は(笑)。
「オリジナルストーリー秘話」
――5話・8話などオリジナルストーリーを作るうえで工夫された点や苦労された点は?
高山 オリジナルでコメディを、ということで、それぞれ仕掛けをしてあります。5話だと、女装ネタというのはよくあるんだけど、「自分が女だと隠している男装キャラの女装ネタ」というところが、半ひねりしているんですよ。8話も男女の入れ替わりネタというのはよくあるんだけど、その片方が女だと隠しているキャラでの入れ替わりというところが、また半ひねりなんです。
――ストーリー自体はすぐに生み出されたものなんでしょうか?
高山 8話は『転校生』のパロディとして、「空き缶」「階段」「転がり落ちる」というパーツはそのまま入れているんだけど、そこに自分が女であることを隠している潤のキャラクターが入ってきた瞬間、今まで何回も使われてきたようなネタに、急に新しい面白さが出ましたね。5話もそういうところでエピソードが生まれました。
――潤の正体がきちんとわかるのは6話になりますが、その前の5話である程度バレてもいいという形になっていたのも、やはり仕掛けだったということですか?
高山 本当だとバレる瞬間までは、ちゃんと明かさない形にしておくか、明かした上でサスペンスをかけるかという作り方が正統派なんだけど、「わかっているけど明かしていない」という不安定なバランスだからこそ出る面白さというのが5話にはあるんですよね。「どう見ても女だとしか思えないでしょ」というような状態でありながら、微妙なポジションにいるというような表現の仕方。あの描き方は普通やらないし、出来ないんですよね。パッケージングとしてまとまってないように見えるから、あまりみんなやらないんです。だけど、そうじゃない面白さがあるんだったら、わざわざまとめることを主張するべきじゃないんじゃないかと。「明らかにバレてるんだけど、でも明言はしていないし……」という不安定な感じや、感情の揺らぎが、ちょっと変わったやり方で出来て5話は面白かったですね。8話は逆に、きれいにロジックでひっくり返しているものなので、不安定さではなく完全に安定した面白さになったかなと思います。
――小林先生からの、オリジナルストーリーをご覧になっての感想は?
小林 めちゃめちゃ面白いですよ! ただ、悔しかったですね(笑)。
――5話ではメイド服コスプレがありましたが。
小林 メイド服だと潤がよかったですかね。「一ちゃん、どう?」っていうあらしのセリフもすごく好き。あの声はやばいですよ(笑)。だんだん後半になるにしたがって、あらしの演技が大人っぽくなってきて、非常によかったです。
――8話はいかがでしたか?
小林 こちらはダビングの時にめちゃくちゃ笑いました!
音の入り方もよかったし、コンテももちろんすごかったです。
高山 アフレコの時には、ここまで塩谷を積み重ねてきてよかったと思いましたが(笑)。
小林 小見川さんの演技も面白くて、そのすべてが合致して、パワーを発揮して、笑いをこらえきれないという。一が中に入った潤が「タマはねえけどな!」っていうところとかも、もう……(笑)。潤の体をトイレに引きずっていくシーンがめっちゃ好きでした。
――8話の最後で、4人が入れ替わるところは、実際は誰と誰が入れ替わっていたのか、特別に教えていただけますか?
高山 グラサンの体に入ったのが一で、一の体に入っているのがマスターで、マスターの体に入っているのが潤で、潤の体に入っているのがグラサンです。グラサンは「タマがねえ!」とか言うんですよ、きっと(笑)。
小林 一と同じリアクションだ(笑)。 「『夏のあらし!』の特徴:タイムリープ解説」 ――タイムリープものをシナリオにする上で工夫された点や表現のこだわりは? 高山 表現というか、見せ方に関しては演出に任せるしかないので、僕のほうとしては特にないですね。ただ、結構驚いたのが、タイムパラドックスものって基本は言葉通りのパラドックス(逆説)じゃなくちゃいけないはずなんだけど、「過去に行って何かしたら、そこから別のラインに出来て、別の歴史が出来る」のが当たり前だと思っている人が、意外に多かったこと。たぶん『バック・トゥ・ザ・フューチャー』以来だと思うんだけど、それ以前はあくまで一つの解釈でしかなくて、決して主流ではなかった。それに、物語を作る人間としては一番安直な解答なんですよ。「途中が変わっても最終的には元の流れに戻っていった」とか、「絶対に変わらない」とか、いろんな縛りの中で物語を作っていくのがタイムパラドックスというか、タイムリープものの醍醐味の一つなんですよね。それを今の人たちは平気で「変わりました」をありにしちゃうし、なおかつ「歴史を変えちゃいけないんだ」というのをロジックじゃなくて、倫理でとらえているだけ。それをみんながスタンダードとして持っているのがショックでしたね。
――今、多くの人がタイムリープもののスタンダードだと思っているような内容は、実は違うんだよということを書いてみたかった?
高山 それはでも、作品の中のルールは作品ごとに違っていいわけですよ。ただ、ある作品で見た解釈をそのまま別の作品に流用していいわけはないので、それなのに切り替えがうまくいっていないというか、スタンダードの位置が変なところで落ち着いているなあという印象はありますね。
小林 『夏のあらし!』の中では過去が量子的に存在していて、「未来が過去を決める」という話にしています。歴史の流れが決まっているからといって、手を抜いたらアウトなんですよね。
高山 流れが決まっているんだからといって手をこまねいていていいわけではなくて、流れを決めるがために自分たちが努力をし続けなければいけないっていう、物語の流れがちゃんとあるという、そういったところにテーマ性がちゃんとあるはずなんです。
――そもそも小林先生は、なぜタイムリープものを描こうと思われたんですか?
小林 それは、最初にも言った通り、戦争の時代を描きたかったので、そこから必然的にタイムリープものになっていきましたね。
――「未来が過去を決める」という設定は最初から決まっていたんですか?
小林 最初はまだ全然。担当編集と打合せをしながら、だんだんと固まっていったという感触があります。
高山 未来というか、自分のこれからの行動が過去を決めるということですよね。
小林 (別の歴史が出来るといった)パラレルワールドを持ち出すと、話が収まらない感じがしちゃうので、それはなくそうとは思いました。だって、悲惨なことが起きた世界は、悲惨なままで存続するわけじゃないですか。それは物語的には落ち着かない。
高山 根本的な解決になってないんだよね。自分たちが今いる世界は解決したから、それでいいかもしれないけど、解決してない世界がそのまま存在する、ないしは解決しないまま消えちゃうんだというのは。
――8話の牛乳、9話のサバに関しての答えが出ないやりとりも、タイムリープものの面白さを実感できるエピソードだったと思うのですが。
高山 サバと牛乳に関しては、話に出ている以外にちゃんとした正しい解答はあるんですよ。でも、それを「ああでもない」「こうでもない」ということが、タイムパラドックスの楽しさの一つなので、ああいった形で扱っているんです。
――一応、カヤの言っていたことは正しいですよね?
高山 でもマスターは理解できない。
小林 頭がいいのか、悪いのか、どっちだかわからない(笑)。でも、僕が一番好きなのは、カヤの「私ですか?」というセリフ。
高山 マスターに「まったく頭悪いわねえ」と言われて、「私ですか?」って(笑)。
小林 あの名塚さんの演技は、本気で気にしている演技でしたね(笑)。
「キャラクター解説!?」
――改めて、「各キャラクターを一言で言うならば!?」という質問を、皆さんに伺いたいと思います。まずは小林先生、いかがでしょうか?
小林 あらしは「スマート」、一は「男子!」。潤は「思春期」。カヤは……何だろう? 「日本文化」かな。マスターは「自由」。グラサンは「男!」。やよゐは「熱血」。加奈子は「母性」か「保護」か、どっちか。山代は「青年」ですかね。
――では、高山さんと、ここからは新房監督にもお話を伺います。まず、あらしと一のイメージは?
高山 あらしは「メーテル」、一は「鉄郎」。
新房 そうだね。「メーテル」と「鉄郎」だね(笑)。
高山 最初の段階から「ジュブナイルの香りがする」という話はしていて、あらしと一は揺らぎのないヒロイン像とヒーロー像というところでの共通意識はあったんですよね。
――潤とカヤに関しては?
高山 潤は「エメラルダス」? いや、そんなことはないよね(笑)。潤とカヤは、一言で言おうとすると、どちらも難しいんだよなあ。あらしと一は完璧なヒロインとヒーローなので、明確なんですけど、潤とカヤは揺らぎをたくさん持っている人たちだから、一言だと非常に言いづらいものがあります。一とあらしの関係に対する、裏表の位置にあるのが潤とカヤの関係だし、潤とカヤ自体が裏表の関係にあるという、非常におもしろい構造になっているので、一言だと難しい……。
――誰かと対比して成立するキャラクターであって、ピンとしては表現しづらいということですか?
高山 もちろんピンとしての表現も、言葉を選べばきっとあると思います。だけど、いろんな側面を持っているがために、あまり一言で言いたくない感じがあるんですよ、2人は。
新房 確かにカヤはちょっと、新しいかもしれないなあ。
小林 僕の中ではさっき言ったのにプラスして、「口うるさいおばさん」というイメージが。「昔いたよね、こういう人」っていうタイプの人が、そのまま若い姿でいる感じ。
新房 ということはやっぱり、「母性」かもしれないね。潤は一番揺らぐキャラかなあ? 被害にも遭うし、巻き込まれ型というか。あとは「人気キャラ」だよね(笑)。
――マスターとグラサンについては?
高山 マスターは「大人の女の人」ですね。普通に。グラサンも普通に、「大きくなった男の子」。
新房 マスターはまだ、わからない部分があるんだよね。だからマスターについては、もうちょっと探りたい。人間くさいんだけども、それも本当かどうかがわからないから、やっぱりそう思うんだよね。だからあの中では一番興味がありますね。グラサンもまだ謎があるから、俺は何とも言えない部分があるんですけど、見た目だけでいうと「かまやつひろしの歌」みたいな。
小林 なるほど!(笑)
新房 「我が良き友よ」だっけ? あの歌の感じかな。
――やよゐと加奈子はいかがでしょうか?
新房 やよゐは……うーん、難しいねえ。
高山 やよゐは「野中藍」です(笑)。このコメント、使いにくいですよね(笑)。それだけ存在感があったということなんですけど。
――やよゐは「野中藍そのもの」だととらえていい?(笑)
高山 そのものというか、すげー近い(笑)。野中藍に食われた感がありますね。
小林 思った以上に破壊力がでかかったですから。
高山 あれは想像以上に「来た!」という感触がありました。
新房 そういう意味では、やよゐはいろんな時代、どんな時でも迎合できる、意外と順応性の高い性格なのかもしれないなという気がしますね。戦時中だって、意外とその中で楽しんでたんだよね?
小林 そうですね。
新房 現代は現代で楽しいんだろうし、もしかしたら一番得なキャラクターなのかもしれないね。逆に加奈子は一番ストイックなんじゃないかなあ。ストーリーの中では報われているからまだいいけれど、ちょっとストイックすぎるかなと。
高山 加奈子もCパートのイメージがあまりにも強くなっていきすぎて、本来の加奈子のイメージじゃないところがフィーチャーされていますけど、本来はまっすぐですよね。でも、どのキャラクターもみんな方向やベクトルは違えどまっすぐなんですよ。そのまっすぐ感が好きだなあという感じが僕の中ではあります。
――最後に、山代はどうですか?
高山 山代はあの中で唯一、堅気の真人間ですね。
新房 物語的には見ている人、特に男性視聴者の(感情移入の)行き場所なのかなっていうところはあるよね。
小林 そうですね。そうなればいいんですけど。
新房 語り部的な役割というか、そこに自分を重ねて見るという立ち位置なので、個性がそんなに極端というわけではない。見ている人がそれぞれに感じてもらえればいいのかなという気がします。
小林 年齢的にも、どこにも絡まなくていいというのがありますね。あまり低すぎると一に絡まないとダメというのがありますし、上にしたらグラサンと絡まなくてはいけないし。
「DVDを100倍楽しめるポイント講座」
――6月24日からリリースが始まる『夏のあらし!』DVDの「ここに注目して見てほしい!」というポイントを、皆さんに挙げていただければと思います。
新房 見どころは全部ですが、DVDでは変身シーンが新しくなっているので、そこは見てほしいなと思います。あとは特撮シーンでしょうか……(笑)。
小林 そうだ! 特撮シーンですよ!
高山 自分でやっておいて、きれいに忘れてましたよ(笑)。僕の場合はシリーズ構成で全体の組み立てを見るから、「ここ1点を見て!」というのは、実はあまりないんです。細部にはあらゆるところに仕掛けをしてありますけど、それも「ここだけ」ということではないですからね。そういうところも含めて、見るたびに面白さが変わっていくような組み立てにしてあります。1回目に見た時と、最終回まで見た後で最初から見直した時とで、触感が違っているところがたくさんあると思うんですよ。いろんなところに再発見があって、見直すたびに面白さが変化していくような、そういう作りになっています。
『夏のあらし!』はキャラクターに深みがあるので、何回でも新しい発見が出来るような作り方にしています。1回目で100%を出し尽くすんじゃなくて、2回目、3回目で「そういう意味だったんだ!」と、ちょっとずつわかっていくような感じです。
――では、最後に小林先生から一言をお願いします。
小林 夏の風景とか、喫茶店の室内とかが、アニメではきめ細かく描かれています。漫画と違って集団の作業なので、全然密度が違うんで、そういうところを見てほしいです。あと、明確にやりたいことの意志が出ているので、そういう前向きな姿勢は見るだけで終わるんじゃなくて、「何か学んでおけ!」ということですね。
――皆さん、長い時間ありがとうございました! |