舞台は架空の 「気象庁/特異生物部/対策課」、通称【気特対】。主人公はそこに勤める職員たちである。
彼らは、特異生物=M(モンスター)が出現しても自衛隊のように前線で戦う事はない。彼らに武器は無いのである。
テレビの報道中継を観ながら、Mへの注意点やMの弱点を自衛隊にアドバイスすることによって、被害を最小限におさえようとする影の存在なのである。
彼らの武器は知識と経験だけ──。
天気の予報をするように、特異生物=M(モンスター)の出現予報・分析・周辺地域への警報発令が職務なのだ。
彼らは国家公務員として国民の生命・財産を守るため、気象庁のある東京メトロ東西線竹橋駅まで、殺人的混雑の地下鉄に乗って、日夜通勤しているのだ。ヒーローはMONSTERと闘わない、普通の公務員たち。この“新しさ”が「MM9」の魅力である。
このドラマは、M(モンスター)の出現という非日常的な設定を置きながらも、物語の主軸は“日常”(人間ドラマ)に置いて展開していきます。
だからMという存在も、この世界に台風もあれば、地震もあるように、当たり前のように存在している感覚で捉えているのです。
メンバー達も怪獣の専門家ではあるが、傑出した使命感をもって仕事を行うわけでもない。最大の敵は日常の中にこそあったりする。
「イマイチ満たされない毎日」「ムカつく上司」「淡い恋心」など、そこに描かれるのは、誰もが共感できる等身大の人間ドラマなのです。
Mという非日常的なものを日常の枠組みの中に落とし込んだ「MM9」は、これまでの「MONSTER」と名がつく作品が持つ既成概念を覆す、
一味も二味も違う新しいドラマなのです。
「MM9」のもう一つの魅力がバラエティに富んだストーリー展開です。
前話の展開をなぞったように繋がっていくこれまでの連続TVドラマようの展開ではなく、想像力を掻き立てるように時間軸がジャンプし、時にはスピンオフ的展開さえありながら異なった演出や手法により各話が展開していきます。そんな物語の中でキャラクター達がブレることなく存在する事で繋がっていく連続ドラマなのです。
それは、5人の監督達の技であり、脚本家の巧みな構成であり、それらを束ねた総監督の包括力により産まれた奇跡のような13話です。