啓太とてんそうの一日
その日、啓太はぐお~すぴ~とものすごい高いびきで寝ていた。前日、留吉(地味ながら確実な役を作ってくる。テンパイの後は必ずリーチしてくるタイプ)、河童(そもそもルールを理解しているのか定かではないが、一度など大三元を積もった)、狸(ポン、チー、カンが大好きな鳴きマージャン党。何気にここぞという時の引きも強い)というモノノケ面子相手に徹夜マージャンをやっていたからである。
人間の尊厳にかけて負けられない戦いだが、なんと最下位。
雪辱戦を何度も挑んでいるうちにとうとう夜が明けてしまったのである。
そのため、今は棒で突ついたくらいでは起きないくらい深い、深い眠りに落ちていた。
「ぐお~すぴ~」
彼がいびきを掻くたび、枕もとにかけた手ぬぐいがそよそよとそよいだ。
また彼の傍らでは同じく討ち死にしたように留吉、狸、河童が仲良く並んで寝ていた。
そしてそんな鼾と寝息の混声合唱が聞こえてくる部屋にそっと一人の少女が入ってきた。
だぼだぼのオーバーオールにスケッチブックを抱えた少女。
てんそうだった。
彼女はすちゃっと膝を突くと、
「こんにち、わ。啓太様にはお日柄もよろしく」
と、挨拶をした。
「啓太様?」
顔を上げる。だが、啓太はぐお~とすごい鼻息を吹き出して起きる様子が全く無かった。
「あの、啓太、さま」
抑揚なくそう言って啓太の肩をゆさゆさ揺するてんそう。しかし、それでも啓太は眠りから全く醒めなかった。
てんそうはふうっと微かにため息をついた。
「あそびに、きたのに」
困ったように後ろに下がり、壁に背を預けるとぺたんと腰を落とした。女の子座りになり、スケッチを膝元に置く。それからじっと啓太が起きるのを待ち始めた。
てんそうが一人で啓太の部屋にやってきたのは親友のフラノに勧められたからだった。
”啓太様と遊ぶととっても面白いですよ! ぜひぜひてんそうちゃんも啓太様を味わっちゃってください”
フラノがそう言うなら、とこうしてやってきたのである。
だが、いくら待っても啓太は起きてこなかった。その間、てんそうは三度、姿勢を変えた。マイペースな彼女はぼうっとしていても飽きることがなかった。
その気になれば仲間のことや、絵のこと、薫やかつての川平家の主人たちのことを考えるだけで一日過ごすことが出来た。
ただ、今回は一応”啓太に遊んでもらう”という目的を持ってやってきたのである。
さすがにずっとぼうっとしているだけというのも芸が無いので、彼女はスケッチブックを取り出し、猛烈な勢いで写生を始めた。
まず寝ている啓太を描く。
立てひざを突き、よだれをたらし、ぼ~りぼりとだらしなくお腹を掻いている姿。
個人的によく描けたと思う。
その調子でさらに啓太を描く。神がかり的な速筆が出来る彼女はおよそ二秒に一枚、というペースで写真のように精密な絵をかくことが出来た。そんなプリンターみたいな速さで猫、河童、狸も絵筆で捉える。
「う、ん」
彼女は小さく頷いた。彼女を良く知るものなら分かる珍しく満足そうな様子。
それからもうちょっと考え、
「こう?」
河童、狸、猫の位置をちょっとずらしてまた描く。縫いぐるみのように啓太に寄り添わせたり、縦につんだり、逆さにした。しかし、それでも一向に動物たちも啓太も起きる様子がない。
普通の者だったら思わず笑ってしまうような珍妙な構図にもてんそうは笑わず、大真面目に写生を続けた。
いたく芸術的感興を刺激されたようだった。
猛烈な勢いで絵筆を走らせ、「はふう」と小さく満足の吐息をついた。かなりの手ごたえを感じていた。一通り満足し、今度は改めて啓太の部屋を見回した。
なかなかよい素材が転がっていた。てんそうはちょっと考えてから、猫の足には啓太の靴下、狸の足にはようこの靴下、河童の足には自分の靴下を脱いで履かしてみた。
余人には理解できないが、てんそうはそこに前衛的な美を感じた。
ちょっと「じ~ん」とした面持ちになった。
テーマは、
『人と動物の絆』
だ。うんうんと幾度も頷き、写生をしてみた。
なかなかの力作が仕上がった。てんそうはうろうろと歩き回り、今度はもっと大胆にテーマに踏み込むことにした。引き出しから啓太のシャツを取り出し、まず猫に着せる。顔しか覗かないが、かなり可愛い感じだ。しかもそれでも留吉は起きなかった。むにゃむにゃ顔を前足で掻くくらいだった。さらに狸にはようこの服を着せてみた。
「もう、だめっす~。はこてんす」
とか、狸は寝言を言っていた。てんそうはそこでちょっと迷った。
ちらっと啓太を確認する。
だが、彼は完全に寝入っている。てんそうは小さく頷き、自分の服を脱ぎだした。芸術のために。だぼだぼのシャツだ。恐ろしくしなやかな上半身に灰色のブラジャーがあらわになった。
胸は小ぶりだが、形が良かった。
てんそうは髪を払った。
綺麗な瞳がほんの一瞬だけ見えた。
それから彼女はその姿でシャツを河童にかけ、すばらしく満足そうに微笑んだ。
「完璧」
後日、啓太は啓太は全く身に覚えのない絵をてんそうから贈られることになる。
「啓太さまのお陰で描けた私の最高傑作かもしれない」
そう言われたところで啓太は小首を傾げるしかない。
啓太と服を着た動物たちがそれぞれ寄り添って寝ている不思議な絵。
ただ一点だけ分かったこと。
それはとても暖かみのある絵だった。
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