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第7話には、入院中の正太郎を元気づけようと(?)高見沢秘書がアイスキャンディーを買いに走るという場面がある。
夏の風物詩ともいえる、このアイスキャンディー、実は大正時代にはすでに誕生していた。 そもそも、夏に食べる氷菓自体は「アレキサンダー大王が氷にハチミツをかけて食べていた」という文献が残っていたり、『枕草子』にかき氷に関する記述があったりと、その歴史は極めて古い。しかし、太古の氷菓は、冬に作った氷を地中に埋めておき、解け残ったほんのひとかたまりを使用したり、標高の高い山の山頂から大きな氷を運ばせ、やはり解け残ったひとかたまりを使用したりと、身分の高い者にしか味わえないかなりの贅沢品であった。
現在のようにアイスクリームを庶民が口に出来るようになったのは、製氷技術が確立して以降のことで、アメリカでは1790年前後にアイスクリームの製造機械が発明されている。日本人で初めて現在に近い形のアイスクリームを食べたのは1860年、アメリカへ向けて出向した咸臨丸の乗組員たち。やがて、アメリカの技術が日本に伝わり、日本でもアイスクリーム(あいすくりん)の販売が始まるが、それを口にできたのは一部の上流階級のみ。当時は卵や牛乳などはまだまだ高級品だったのである。
ここで登場するのがアイスキャンディー。大正時代、ある病院の看護婦が入院患者を元気づけようと、試験管に砂糖水を入れ、塩をかけた氷で冷やして固めたものを作り入院患者たちに配ったものが起源と言われている。実は高見沢秘書はアイスキャンディーの生みの親である看護婦と同じ行動をとっていたのである。
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