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第17話には正太郎たちが熱心にテレビを見ているシーンがある。
劇中でも触れられていたように昭和30年代に入ると民放も続々と開局し、白黒テレビは電気洗擢機、電気冷蔵庫とともに『家庭になくてはならない大切なもの』という意味をこめて『三種の神器』と呼ばれることになる。
日本のテレビ放送に関する歴史は以外に古く、大正12年には日本のテレビ創設の父と呼ばれる高柳健次郎氏がテレビ放送に関する技術論を提唱。大正14年にアメリカでテレビジョンが発明されると翌年には、すでにラジオ放送をはじめていたNHKがテレビ放送の研究に着手。大正15年にはブラウン管に「イ」という文字を電送し受像に成功したという有名な実験が高柳氏の手により行われた。
昭和に入ると、高柳氏は国産のテレビカメラを開発。昭和7年には静岡県浜松市で郊外からの受信実験を行い、これを成功させる。昭和14年にはNHKにより東京一円に電波を飛ばす実験が行われ、同年、国産初のテレビ受像器が発売された。戦中、テレビ放送やテレビに関する研究は一時途絶えたが、昭和28年にNHKがテレビジョン放送を開始。同年、民放である日本テレビも放送を開始し、やがて、テレビは少しずつ普及していき『三種の神器』のうちのひとつとして家庭になくてはならないものとなったのである。
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